俺スコープ
-since2005/8/20-  「しいたけを」という役者です。生活の中で琴線に触れたアレコレをみなさんと共有できればと思っております。(タイトルクリックでHOMEへ)
思い出した!
思い出した!

米倉涼子や!

めっさすっきり!

脳細胞も救われた。
あの女
3日前からあの女の名前がどうしても出てこない。

キューピーコーワゴールドの女。
過去にGackt絡みで読み物書いたから絶対知ってるのに。

誰かに「黒革の手帳で当てたガタイのでかい女」と聞けばたちどころにすっきりするのは分かっているけど、自力で思い出さないと脳細胞が死ぬらしいから歯がゆくても自力解決だ!

確か「涼」が付くんだ。
涼子か?
篠原涼子。
違う、ドラマ当ててるのは共通してるけどこれは別物。
涼は苗字か?
涼風?
違う、これは元ジェンヌ。
やっぱり名前?
涼子っぽくね?やっぱ。
篠原じゃない涼子。
鈴木涼子
山田涼子
佐藤涼子
違う、

山?
「山」付かなかったっけ。
山本涼子か。
違う。
あ、黒革→明治座で山本陽子が頭に割り込んできた。

篠原涼子と並んで「ダブルなんちゃら」って呼ばれてなかったっけ。
ダブル涼子?
ダブル篠原?
どっち?
そもそもそんな呼ばれ方してんの?

ダラダラ書いているうちに思い出すと思ったけど、さっぱりだ。

わー、貴重な脳細胞が。




男子高校生
20070130134900
男子高校生3人がマックで昼飯。
メガマックだのポテトだの食いながらバスケ大会とか授業の話など。
よ〜見ると手前の子は弁当食ってた。
持ち込みがバレないよう、カウンターに背を向けて。

かわいいな。

再魅力的な俺
公園で、女が男から殴る蹴るの暴行を受けていた。
男は拾った雑誌を路上で売ってるタイプのオヤジ。
女も同タイプで仲間もしくは夫婦に見えないこともない。
激しい内輪揉めか痴話喧嘩か、それともベンチにただ座っていた気弱な女が理不尽に絡まれているのか、判別が難しい。

判断材料を探して、その周辺のベンチに座っていた人々の様子を見たところ「恐いからかかわれないけど、助けが必要だよね」な雰囲気はみじんも無し。
タバコ吸いながら連れと笑いあってる人もいるし。

ってことはこれは内輪揉め、立ち入るのは余計なお節介、もしかしたらプレイかもしれん。
だとしたら口出しは野暮というもの、とその場を離れたものの「万が一アカの他人で理不尽に絡まれてるとしたら」と胸がザワザワしてきた。
ぶっちゃけ怖いしどうすればいいかわからないけど、「良心に従って」元の現場に引き返した。

やっぱり恐いから少し離れたところから「助けは必要ですか?」と声をかける。
なんか煮えきらない呼びかけだがこれが精一杯。

男がギッとこっち見て「向こう行け!」「何でもねぇよ!」「£∞≒∈!!」と喚き散らす。
マジ怖くてチビりそうだ。
今にもこっちに来そうな男にビビりながら、女が助けを求めるているのか必要としていないのかの反応を見極めるまでは責任を持とうと思って、ヘッピリ腰で二人の方を見続けてたら女の口から「なんでもないですから」という言葉が。

言わされたのかもしれないし暴力を受けているには違いないから「君ィ、暴力はやめたまへよ!」と身を呈して止めるところまでやんなきゃいけなかったのかもしれないが、俺の心臓は子リスちゃん。
かわいい。
嘘。

あんなに殴られてなんでもなくはなかろうと思うけど、とにかくアカの他人が理不尽に絡まれているわけではないことが分かったんだし、声をかけただけでも良しと思うことにして、今度こそその場を離れた。

年始同様、良心に従っておせっかいをやく、ってのをやってみた訳だけど「できる範囲でいい」と割り切ったから前回より後味は悪くない。

きっとこれでいい。


モード・オブ・ザ・ウォー
モード・オブ・ザ・ウォー 第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスターコレクションより にイッてきた。
その雑感。

今回の展示目的は「戦争に向かうアメリカ社会やポスター作家、印刷技術などを第一次世界大戦期プロパガンダポスターコレクションを通してご紹介」らしい。

戦争は良くないよね、というのが世界的なコンセンサスだと思うんだけど、その戦争に協力させるために国民を煽った資料の展示が、反戦目的ではないイベントとして成り立つってなんか不思議。
自分自身観に行った動機が「面白そうだから」。

戦争が人間を殺す行為であることを連想させない表現とか、あからさまな煽りコピーとか見ているうちに、当時これらを見た人がカァーっと盛り上がって「私たちもやらねば」って続々と戦争に加担していく映像が頭に浮かぶ。

「巧みに国民を扇動しやがって」と嫌悪の情が湧いたものの、「戦時国債を買いましょう」とか「石炭を節約しましょう」などの己に負担が生じる内容のメッセージに対して、当時の人は製作者の意図通りにその気になったんだろうか、とも思った。

例えば今現在の政府広報。
「年金納めましょう」「エイズ検査を受けましょう」「献血しましょう」と国民に働きかけているけど、政府が吹く笛で踊っている人はいるのかな。
いないとは言わないけど「私今まで納めてなかったけど改心して納めます!」「検査を受けます!」「私の血を吸い出して!」と我も我もと押し掛け該当窓口は嬉しい悲鳴、とはとても思えない。
ナショナルナリズムをくすぐってはないから一緒にはできないか。

歴史資料は当時の一面しか表さないもの、ってことだね。
合ってる?

ダラダラ書いたが、この展示で一番印象的だったのは、「ギブソンガール」が実験人形ダミー・オスカーの叶精作と画風が同じだったこと。



オーディション通った!
わ〜い、わ〜い!
CMオーディション通った!
こいつは年明け早々演技がいい!ウマイっ!

すみません、はしゃぎすぎました。

(前)厄除けに行かないことにした矢先に事務所からこの吉報。
スゲー。
ヒランヤより効く。

前厄人体実験
厄年。

こういうのは、聖子ちゃんカウントダウンコンサートぐらい自分の生活と遠いところにあるイベントだと思って生きてきたがついに目の前に現れた。
英訳するとdanger yearだって。
なんか体調が悪くなるぐらいじゃすまなさそうな壮絶な英訳だな。

正確には今年俺が迎えるのは前厄。
飲み屋で厄除けに関する豆知識を得ようと会話を進めていると「役者さんは厄除けしちゃダメって聞いたよ」という人がいらした。


「役(やく)を除ける」に繋がるから。


膝打ちまくり。


語呂合わせだけど、42歳が厄年だってのも「女33はサンザン(散々)、男42はシニ(死に)だから」って説もあるからどっちもどっち。
おなじ振り回されるのならば役者としてプラスになる方に振り回されたい。


というわけで、前厄にもかかわらず厄除けしないで一年過ごして、後進のためにその格言に実効性があるかどうか、この身をもって検証してみようと思う。
これは壮絶な人体実験だ。
ひとり華岡青洲の妻!


ヒュー、


めっさドキドキする。


寝台車
20070117013038
黒のパンストじゃなくてその奥。
泥酔の21歳(肌から推定)男子。
こんなになるまで、楽しいことがあったのか、つらいことがあったのか。

なりたい自分はどれ
「俺」から卒業しますと書いたところ、読んでくれた人(4人)から「これからは何て名乗るんだ」と凄い反響(妄想)。

一人称によって言葉使いがまるっきり変わる。
一人称選びによって今後の人格が決まるといっても過言ではない。
慎重に選ばなければ50歳になったときに悔いること必至。

それぞれがどのような人格となるのか、「私」「俺」「僕」「ワシ」「アテクシ」「アタイ」、それぞれの人になりきってパッと思いついた短文から、検証してみたい。


「私がフランス大使に?」
「俺、お前のこと放っておけないから!」
「僕はいつだって君の見方だよ。」
「ワシはあとでいいんじゃよ。」
「アテクシ、おビールを。」
「アタイのお道具試してみるかい?」


お〜、同一人物から出た言葉とは思えないほど人格が違う。
生活の背景がもうぜんぜん違う。

「私」の人は普通で無難だけど「人」が見えない。

「俺」の人はやっぱり断然かっこいいな。
「こんな私にほとほと愛想が尽きたでしょっ!」と自暴自棄で部屋を飛び出した相手を追いかける。
外はどしゃぶりの雨。
ずぶぬれになりながら叫ぶ。
包容力有りまくり。
っていうかリアルでそんなんやってる馬鹿ップルは今すぐひどい別れ方をして欲しい。

「僕」の人は優しくて誠意がありそう。
おにいちゃんといもうと、あるいはアンソニー(キャンディ·キャンディ)とかそんなん。
背景が点描。

「ワシ」の人は、後進に道を譲り一歩下がってやさしく見守っている。
いい感じで枯れて達観している。
笠智衆。
但し「儂」を使うと「生娘でもあるまいし、儂の気持ちは分かっておるのじゃろ。」となって間逆な人に。

「アテクシ」の人は気取り屋さん。
っていうかこれはただ「真珠夫人」のセリフを書いただけ。
来世も男に生まれたいと思っている俺だけれども、もし女に生まれたならば大衆居酒屋のカウンターで「おビールを」と言いたい。


「アタイ」の人は生きる力が満ちているな。
ところで「アタイ」は結構破壊力がある言葉だと思う。
自分がエリートサラリーマンだったら、重役連中を前に「内部統制プロジェクトの全体像を見据え全社的取組みに対する明確な指針を示すべきだとアタイは思います」とかいってプロジェクターいじってみたい。


なんの話してんだか分かんなくなった。


ようはアレだ、一人称選びは難しいですよって話だ。


30歳になった日に、ひとつの誓いを立てた。
それは、自分のことを「俺」と呼ぶこと。

自分で誓ったものの、最初のうちは「俺」を使うのがとても照れくさく、かなり意識した。
銭湯で小6が、生えはじめたチンコの毛を人に見られやしないかと意識するように。

あれから10年。

AV男優がカメラの前でチン毛を公開することに何も感じないように、「俺」を使うことになんの抵抗も無くなった。
「俺」どころか「俺様」も使いこなせるようになって今ではすっかり一人前の俺使いだ。
ブログのタイトルにもそれが反映されている。
強気な文章も一人称が「俺」だからこそ。
気を大きくさせるという点で「俺」は自分にとってサングラスのような効果があったかも。

10年間お世話になったが、もう「俺」なしでも大丈夫。
ダンデライオン。
40歳になった今日、「俺」の任を解き、新たな自分になってみようと思う。

ブログは当面このまま「俺」でやってくつもり。
タイトルが「俺スコープ」だから。

でも、リアルとwebの一人称に差をつけると「あいつ、ブログじゃ強気に俺様とかいってるくせに。プププ」とか言われそう。

その時は俺スコープで「ああそうだよ、ブログ弁慶だよッ」と開き直り毒づいて溜飲を下げようと思う。

優しく癒してあげるよ。家どの辺?
優しく癒してあげるよ。家どの辺?

朝の車内にて俺と同年代よりチョイ上の極々普通っていうかぶっちゃけややサエない感じの会社員風の殿方が携帯で打ってらした文言。
立ち位置の関係で画面が俺の目の前にあったので遠慮なく拝見した。
知人とのヤリトリじゃなくて多分未知の相手。
画面上に「ポイント」とかあったから。

正直女性ウケするとは言い難いタイプの40代男性が「優しく癒してあげるよ」というセリフを放ってる事実に軽く衝撃を受けた。
いい意味で。
あと「癒してあげる」の慈愛と「家どこ」の剥き出しっぷりの落差にグッときた。
ソフトフォーカス&顔面キャッチライトからシャープネス&蛍光灯。
人間だもの。

その後も「もしかして迷惑だった?」とか「会えたら嬉しいな」とか多種多様なメッセージを様々な相手に乱れ打ち。

俺と同じで左手薬指にリングは無く、加齢臭さえ放っている40代男性。
俺は加齢臭無いけど。
きっと。
多分。
いや、絶対。
本当です、本当に無いんです、信じてください。

この人は孤独を埋めたいに相違無い(俺判断)。
人は笑うかもしれない、あるいは眉をひそめるかもしれないけれど、この乱れ打ちは孤独の悲鳴、幸福への渇望、溺藁。
街中のアベックを見るにつけ羨んだり呪詛のことばを(心の中で)投げつけて溜飲を下げている俺に比べてこの人は幸せをつかむために行動をおこしている。
だから俺は心から笑うことはできない。
心の手前では笑わしてもらうけど。


この人と俺によい出会いがありますように。





くいしんぼう万歳
20070107145313
免許証の更新。
俺は非運転歴約20年のベテランペーパードライバー。
当然何の違反もないので講習区分が「優良」
なもんでわざわざ遠い府中じゃなくて都庁の更新センターでオケィ。

いつも思うけど職員のオヤジらはどこか居丈高。
あの人たちは自分が外で同じような応対を受けても何とも思わないんだろうか。
いいや、「サービスが悪い」とか「愛想がない」って台詞平気で言うな(決めつけ)。
なんとかしてキャンといわせられないものか。

なんてことを考えてモヤモヤしながら新宿駅に向かって歩くと「ちゃんこダイニング若」の広告。
「メイン商品であるちゃんこ鍋とオーナーであるお兄ちゃん」なんだけど、レイアウトとお兄ちゃんの遠い目の相互作用で「食いしん坊がお鍋を前にうっとり」にしか見えなくてポワワワワ〜ンって効果音までも聞こえてくる。
吉田戦車っぽい。

愉快なので先ほどまでのモヤモヤが吹き飛んだ。


追記:チャンコ広告見返してみたら、制作意図も「(「食いしん坊キャラをかぶせた)お兄ちゃんがお鍋を前にうっとり」なんじゃないかって思えてきた。
それでもお兄ちゃんの目の遠さはなんかこう「はみ出てる」から機会があったら生で見て欲しい。
魅力的な俺
正月、夜の新宿を歩く。
家族連れやらアベックやら友達同士たちが笑いながら俺を通り過ぎていく。

繁華街からやや外れた通りに出た。
交差点の信号機の下に、浮浪者が縁石から頭部をこぼしているような不自然な状態で倒れている。
見つけた人はちょっと立ち止まるものの、すぐにその場を離れていく。
当然だ。
関わると厄介そうだしどうにもしてあげられない。
俺も同じように通り過ぎようと思った。

その刹那、さきほど見た正月の街の幸せそうな人たちがフラッシュバックした。

浮浪者は、おそらく唯一の財産であろうビニール袋やダンボールを積んだカートの横で、突っ伏して倒れている。
この寒さだ、凍死しているかもしれない。

生まれて初めて110番に電話をかけた。
電話の向こうの人が「倒れている人に声をかけてみてください」というので近寄ってみると、口からあわをふいていた。
110番に通報してよかった、と思いながら声をかけてみたところ「大丈夫です」と細い声が返ってきた。
生きていて意識もしっかりしている。
いいことなんだけど、「警察に連絡しちゃって失敗したかも」と焦った。
子供の頃喘息で夜中に病院に担ぎ込まれた際に、病院の匂いをかぐと落ち着くのか症状が緩和されるんだけど、子供心に「夜中にお医者さんたたき起こしておいて「治りました」は通らんな」と気まずい思いをした。
あれと同じ。

「警官を差し向けます」とのことだったんで、自分はもう用無しだったけど、そのまま放置して去ることもなんとなく嫌だったので警官がくるまではいようと思ってたら、3分もしないうちに右から左からチャリンコにのった警官がワラワラと4名も。
外れとはいえ新宿って都心だからなせる業かもしれんけど、ちょっと感動。
頼もしいな、110番。

さて帰路「警察に通報したのは自分だけど、どちらにも悪いことをしたのではないだろうか」という思いが湧きあがった。

警官にしてみれば、善意の市民からの通報を無下にはできないけど、寒空の浮浪者に対しては為す術などないのが正直なところだと思う。

なによりも、浮浪者はもしかしてあのまま逝きたかったのではなかったろうか。
寒さにも人生にも限界がきて倒れた。
「ここまでか・・・」と残念に思いながらも「これで楽になる」と安堵もしている。
体が冷え切って世界が遠のいていくなかで、子どもの頃のこと、家族のことなんかを思い出しながら静かにこの世から消えようとしている・・・。
声をかけたときの返事「大丈夫ですから」の調子にはそんなニュアンスがこもっていた気がした。

だとしたら、本当に余計なことをしたと思う。
そして申し訳ないことをしたと思う。

街の幸せそうな人との対比で浮浪者の孤独と己のそれが重なり放っておけなかった。
見過ごして立ち去ることによる罪悪感を背負い込みたくなかった。
俺は自分自身のために、楽になろうとしている人の邪魔をしたのではなかろうか。
一見人助け美談だけど、誰も幸せになってないかもしれん。

と思う一方で、あの場では自分のとった行動が、人としてやっぱり正しかったようにも思える。



物事には「絶対正しい」ということは殆どない。
捕らえ方や価値観が人の数だけ存在するから当然だ。

だったら、その時その状況で自分が正しいと思ったことを「良し」とするしかない。
「良心に従って」というやつだ。
俺基準だ。
もちろん後にそれが誤りだとわかったときには反省が必要になっちゃうけど、それをおっくうがって無関心でいるより行動を起こす人のほうが魅力的なんじゃないだろうか。

だとしたら今回の俺の行いは俺にとって正しかったのだから「良し」ということだ。
そして俺は魅力的だ。






あけましておめでとうございます
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初詣。
大吉出た。

「縁談 女性のさまたげあり、失敗することがあるので人にたのむことです。」

どんなんや。

自由恋愛の場合はどこからか知らない女がやってきて「アンタどこの馬のホネだいッ!」と俺のお相手とキャットファイトを始めちゃったりするけど、お見合いならそんなトラブルもなくバッチリいきますよ、ってことか?
ならば前者を選び、「喧嘩を止めて!二人を止めて!俺のために争わないで!」と泣きながらうっとりしたい。


はしごした別の神社では末吉。
先ほどの大吉と足して割ると「吉」といったところか。

こちらは「縁談 充分念を入れてなすこと」

小吉であろうと大吉であろうと「縁談」は一筋縄ではいかないみたい。
今年も恋愛難民となるのか。
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神社から駅に向かう途中のとある飲食店から、森山良子の新曲?が聞こえてきた。
歌いっぷりが清水ミチコのまんまだったので、ひとりで初笑い。


本年も俺スコープをよろしくおねがいします。